『リヴァイアサンと空気ポンプ』 第1章 「実験を理解するということ」
リヴァイアサンと空気ポンプ
第1章 「実験を理解するということ」
エピグラフ
p.35
アドソ:「どうしてまた」驚嘆しながら、私は言った。「外から眺めているだけで、文書庫の秘密まで、そのようにして解き明かすことができるのですか、あの中にいたときにはおわかりにならなかったのに?」
バスカヴィルのウィリアム:「これとおなじようにして、神さまはこの世界を知っておられるのだ。天地創造以前に、いわば外側から、ご自分の頭のなかを考え出してしまわれたので、それに引き換え、わたしたちには、この世界の構造の規則が、わからない。その内側で生活していて、すでに出来上がったものとしてしか、認識しないから」
ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』(東京創元社 河島英昭 訳) 上巻 p.350
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(私見: 文章上には存在しないが、段落番号を記す。これは読解におけるロールズの作法である)
pp.35-
わたしたちの主題は実験である。わたしたちが理解したいのは、実験的な営みとその知的産物とはなにか、そしてそれがどういう地位を有するかである。
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〔この本の構成について〕
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〔第2章 「見ることと信じること —— 空気学的な事実の実験による生成」〕
pp.47 下段 -
次章〔第2章〕では、ボイルが実験哲学のために提案した生活形式を考察する。
どんな技術的、文章的、社会的実践によって、実験的な事実が生みだされ、妥当なものとされ、同意の基礎へと仕立て上げられるべきと考えられていたかを見極める。
わたしたちが、とりわけ大きな注意を払うのは、空気ポンプの稼働と、この装置を用いた実験がいかにして異論を寄せ付けないとされる知識を生みだし得たか、である。
わたしたちは、ボイルが実験主義者たちに推奨した社会的、言語的営みを論じる。これらの営みが事実をつくりだし、そうやってつくりだされた事実を、不和や争いを生みだすとされた種類の知識から守るにあたって、いかに重要であったかを示そう。
ここでわたしたちがなすべきことは、実験的知識を生みだすべきとされた慣習を特定することである。
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〔第3章 「二重に見ること —— 1660年以前におけるホッブズの充満論の政治学」〕
p.48 上段
第3章では、ボイルの『新実験』が1660年に出版される以前の、ホッブズの自然哲学の状態と対象を論じる。
ここでのわたしたちの主要な目的は、『リヴァイアサン』(1651)を〔政治哲学ではなく〕自然哲学の書物として、そして認識論の書物として読むことである。
政治哲学の論考として『リヴァイアサン』は、国家における秩序を保障する営み、を示すように書かれた。その秩序は、内戦のあいだ「自分たちが政治的な権力にあずかっているのだ」と、認められてもいないのに強弁する聖職者、知識人らによって脅かされる恐れがあった。
このような権力の略奪者が用いた主要な道具立ては、ホッブズによれば、誤った存在論と誤った認識論であった。
ホッブズは、非物体的な実体と非物質的な霊を想定する存在論の不条理を示そうとした。それゆえ、彼は充満論的な存在論を構築したのであり、そしてその過程で、唯物論的な知識の理論を打ち立てたのである。
その理論において、知識の基礎は原因の観念であり、その原因とは物質、及び運動なのであった。
哲学の名に値する営為は、本来的に原因に関わるものであった。それは幾何学と政治哲学の論証的営為を範としていた。決定的に重要であったのは、そのような営為が論証的な性格によって同意を生みだすということである。同意は完全なものであり、それは強制されるべきものだった。
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〔第4章 「実験にまつわる困難 —— ホッブズ対ボイル」〕
pp.48 下段 -
王政復古の年にボイルの実験プログラムが公になったとき、ホッブズの哲学は『リヴァイアサン』と『物体論』(1655)の両者においてすでに定まっていた。彼はすぐにボイルの急進的な提言に応答する。
ホッブズの『自然学的対話』の分析が第4章の枠組みをなしている。このテクストにおいてホッブズはいくつかの根拠にもとづいてボイルの実験主義を破壊しようと試みた。
彼は、ボイルの空気ポンプが物理的な完全性を欠いており〔漏れが存在する〕、それゆえそのポンプがつくるとされる事実なるものは実のところまったく事実などではないと論じた。このポンプの漏れを、ボイルの発見に別の自然学的説明をあたえるために用いた。
ポンプは、操作によって生みだされた真空であるどころか、つねに大気に由来する空気の断片で充満している。ポンプの充満論的説明は、ボイルの説明より優れているのだった。そしてホッブズは、ボイルを真空論者とみなして攻撃した。ボイルは、真空論者と充満論者が闘わせてきた論争に関して、不可知論を公言していたにも関わらずである。
真空論
充満論
不可知論
不可知論は神の存在に関わる
有神論、無神論
「哲学においては、不可知論はしばしば、神の存在は未知である、あるいは知り得ないという一般的な主張として扱われる」
認識論的に、より重要なのは、ホッブズが以下の諸点に対して行った攻撃である。
すなわち、事実をつくりだすこと、そのような事実を合意された知識の基礎にすること、そして、事実をそれを説明する自然学的原因からボイルが分離したこと、に対しての攻撃である
事実をつくりだすこと
〔そのような〕事実を、合意された知識の基礎にすること
〔そして〕事実を、それを説明する自然学的原因から分離したこと
これらの攻撃は結局、ボイルの実験プログラムがどのようなものであれ、それは哲学ではないという主張に帰着した。哲学は原因に関わる営為であり、そのため、ボイルが目指したような部分的な同意ではなく、全体的で後戻りできない同意を保証するのだ。ホッブズの激しい攻撃は、実験的な事実がもつ慣習性を突き止めていたのである。
実験的な事実がもつ慣習性
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〔第5章 「ボイルの敵対者たち —— 擁護された実験」〕
p.49 上段
第5章では、ボイルが1660年代にホッブズ、および他の二人の敵対者〔イエズス会士のフランシスクス・リヌス、ケンブリッジ・プラトン主義者のヘンリー・モア〕に対してどのように応答したかを示す。
ボイルの応答の相異なる性質、および流儀を検討することで、わたしたちはボイルがなにを最も熱心に守ろうとしたかを特定する。
それは、正当な哲学的知識を生みだす手段としての空気ポンプと、実験コミュニティの道徳的な生活を律する規則の完全性であった。ボイルはホッブズを、哲学的知識を構築する全く異なる方法を提示している人物というより、むしろ、失敗した実験主義者として扱った。
彼は三人の敵対者によって与えられた機会の全てを、次のことを示すために用いた。すなわち、いかにして実験的営為そのものを破壊することなしに、実験をめぐる論争がなされ得るのかということである。それは実質的には、実験的知識がもつ事実という基礎を強化するために、論争がどのように用いられ得るのか、ということであった。
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〔第6章 「再現・複製とその困難 —— 1660年代の空気ポンプ」〕
p.49上段 -
第2章、第4章、第5章で論じられたのは、実験プログラムにおける空気ポンプの中心的な役割と、批判者たちがいかにしてその動作の不完全性を、実験そのものを攻撃するために用いたのかということである。
第6章では、二つのことをしたい。
第一に、わたしたちは、物的な事物としてのポンプそのものが、1660年代にどのように進化を遂げたのかを検討する。
その際、その変化には初期の、とりわけホッブズによってなされた批判に対する応答が埋め込まれていたと論じる。わたしたちは、その10年間に成功裏に組み立てられた少数のポンプについての情報を明らかにし、次のことを示す。
それは、ボイルが〔ポンプの組み立て方や動かし方を詳細に〕報告したにも関わらず、オリジナルのポンプを見ることなしに、ポンプを組み立て動かすことができた者は誰もいなかったということである。このことは歴史家たちがこれまで認識していたよりもいっそう、興味深い、再現の問題を提起する。
再現〔の問題〕は、第二の課題にとっても中心的である。
第2章でわたしたちは、事実の構築が目撃者の増加を含んでいたこと、またボイルが、自らの実験を反復すべく努力していたことを論じた。しかし『新実験』が現れるとすぐ他の哲学者、すなわち、オランダのクリスティアン・ホイヘンスが、ボイルの最も重要な説明上の道具立ての一つを無効化するかに思われる発見をする。いわゆる水の変則的な停止現象である。
わたしたちは、この重要な変則例が、どのように扱われたのかを検討し、次のように結論づける。すなわち、空気ポンプが適切に動作しているかどうかを判断する基準は、変則的な停止のような現象が存在しうるかどうかについて、各論者が予めとっていた立場によって変わるものだったのだ。
わたしたちは、変則例への応答を、実験コミュニティ内部での致命的な不和からコミュニティ自体を守るために用いられた実験的生活形式と慣習の現れとして分析する。
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〔第7章 「自然哲学と王政復古 —— 論争のなかでの利害関心」〕
pp.49 下段 -
ボイルの実験主義とホッブズの論証的方法は、いずれも、秩序の問題に対する解決策として提示されていた。
第7章でわたしたちは、この問題に対する解決策を、社会における同意と秩序の本性、および基礎を巡って広く闘わされた王政復古期の論争のなかに位置づけようと試みる。
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〔第8章「科学の政体 —— 結論」〕
pp.50 上段